大判例

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最高裁判所大法廷 昭和34年(オ)1193号 判決

上告人 高野宇三郎

被上告人 大阪国税局長

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について。

所論は、民法七六二条一項は、憲法二四条に違反するものであると主張し、これを理由として、原審において、右民法の条項が憲法二四条に違反するものとは認められず、ひいて右民法の規定を前提として、所得ある者に所得税を課することとした所得税法もまた違憲ではないとした原判決の判示を非難するのである。

そこで、先ず憲法二四条の法意を考えてみるに、同条は、「婚姻は……夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定しているが、それは、民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を婚姻および家族の関係について定めたものであり、男女両性は本質的に平等であるから、夫と妻との間に、夫たり妻たるの故をもつて権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたものであつて、結局、継続的な夫婦関係を全体として観察した上で、婚姻関係における夫と妻とが実質上同等の権利を享有することを期待した趣旨の規定と解すべく、個々具体の法律関係において、常に必らず同一の権利を有すべきものであるというまでの要請を包含するものではないと解するを相当とする。

次に、民法七六二条一項の規定をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかりでなく、所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であつて、配偶者の一方の財産所得に対しては他方が常に協力、寄与するものであるとしても、民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる。しからば、民法七六二条一項の規定は、前記のような憲法二四条の法意に照らし、憲法の右条項に違反するものということができない。

それ故、本件に適用された所得税法が、生計を一にする夫婦の所得の計算について、民法七六二条一項によるいわゆる別産主義に依拠しているものであるとしても、同条項が憲法二四条に違反するものといえないことは、前記のとおりであるから、所得税法もまた違憲ということはできない。

されば右説示と同趣旨に出た原判決は正当であつて、所論は採るを得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 横田喜三郎 斎藤悠輔 藤田八郎 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 高橋潔 高木常七 石坂修一 山田作之助)

上告人の上告理由

一、現実

上告人及其妻の所得申告と所轄税務署の其更正決定

〈表 省略〉

此上の欄の申告(右)と所轄税務署の更正決定(左)とが、昭和三十二年度分の所得税決定の基本となる同年度分の所得の表でこれは本件の分であるが、下の欄の申告と更正決定とは、これにつゞく翌年のもので、直接本件には関係ないが、此更正決定上と下二年を通じ、

(1)  妻は所得一円も認められぬ。これは勿論上告人の妻だけの場合であるが、迎える年も送る年も全国の妻と名のつく女性一人のこらず同じ運命に追いこまれている。

(2)  女性が独身であるうちは、働けば応分の所得がえられるのに、一度婚姻生活(訴状の第一号証及び第三号証甲との何れもにそへた陳情書二頁八行目に記した婚姻生活)に入つた途端からは、いくら働いても一円の所得も認められぬ。

均しく女性でありながら、独身者は所得認めるが、妻なるがゆえに、又妻となつたがゆえに、終生日本中の妻すべて例外なく所得一円もあまさず夫のものだという。

これがわが国政府、被上告人等によつて強行されている現実である。これが亭主関白、妻は三界に家なし等々いはれた封建思想及び制度の最醜悪面そのままの現実でなくて何であろうか。

こういう没常識にして没義道な実現は被告人及び第一審、第二審判決理由何れも、「民法第七六二条第一項夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とする」によるといい、且同法条はは憲法第二十四条に違反しないと主張する。

上告人の読む憲法の本文(前文ともいう)には、「日本国民は人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて」とあり、又同第二四条には「夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない」と、真の人間及び夫婦の自覚が明示されてあるのに、このような前憲法時代に車を逆に転すような前記法条が、憲法に違反せぬという。

被上告人の決定及び第一審、第二審判決には、上告人にどうしても納得できぬ。不服である。

二、上告人の税申告

前掲表の税申告は何れも控訴準備書面乙、控訴人の所信(控準三頁)を実行にうつしたものである。

右控訴人の所信は、わが憲法第二四条の明示と上告人の主張との合一の証明である。

この上告人の主張をば、第一審判決理由では租税政策の立法論,と見、又第二審判決理由では夫婦の道、婚姻の倫理というだけて、何れの判決理由も、その反憲法的指摘乃至反対意見は述べられてないばかりか、第二審では夫婦は同心一体ということについて、控訴人所論の通りとまで云われているところを見れば、何れもこの税申告の合憲法性を無言の裡に肯定しているものとみて差支えないと思う。

尚今年九月十九日の日本経済新聞第一面に「蔵相明年度減税の意向固める」の見出の下に六段目所得税の小見出のうちに「これは米国や西独が実施しているジョイント・リターン(夫の所得は夫と妻が共同でかせいだものとみなし所得を二分して課税する)一の思想……」とある。此話は大蔵省側の人の発言か、又記者がいうたか知らぬが、何れにしても上告人の主張に極似したことが、世界の文化国に既に実施されているとまでいはれていることで、充分に注目していいと思う。

上告人はその税申告は、憲法に合一する正しいものなることを主張する。

それで此税申告を阻み抹殺する前記民法第七六二条第一項は両判決理由ともその合憲法性の強調に終始しているといつて差支えないほどであるに拘はらず、同法条は憲法第二四条に反すると上告人な主張する。

三、憲法第二四条と民法第七六二条第一項

憲法第二四条。婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。

この条規によつて、われわれは少なくも次のことが示されていると観る。

(1)  夫婦は合意せる特定の一人の男性(夫)と、特定の一人の女性(妻)との婚姻生活であつて、男性と女性とでさえあれば誰れとでもというものでなく、極めて限定された特定関係一である。

(2)  夫婦が同等の権利とは、普偏的基本的人権の基礎の上に立つ夫と妻との間における権利の同等なることの自覚をいう。

(3)  この同等の権利の自覚を欠くもの、それは夫婦ではない。オスメス関係か、又はあかの他人同志かであつて、夫も妻もそこにはない。

(4)  夫・妻互に協力し働いてこそ、夫婦は一心同体といわれ、又夫婦が成立ち維持されていく。互の協力のないものは夫婦ではない。従つてそこに夫・妻と呼ばれる者はなく、あかの他人の寄合世帯にすぎぬ。

(5)  夫婦は、それ自らの生命と幸福とのために、夫・妻相互協力して働く。此働く力は、一心同体夫婦一の一つの力である。ゆえに某成果所得は夫婦一に帰属する全体の一なることはいうまでもない。それは他の所得の微塵も混入しない純一無雑、夫婦固有の所得である。夫婦は、此所得によつて、精神的に又物質的に充足され、夫婦生活が豊かに、そうして純化され維持される(控準五頁)。夫婦の所得の本来はこのようなもので、妻の分夫の分という区別差別はない。たゞ一つの所得である。

(6)  このように二人相互の絶対協力による絶対一の力の創造せる成果一、即ち夫婦の所得を、或る事情の下に、それぞれの所得を定めるとなれば、互に了解の上で等分する当然のことである(控準六頁)。夫の所得、妻の所得、何れも夫婦の所得以前のものではない。

民法第七六二条第一項。夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産とする。

夫婦の一方(夫か妻)が婚姻中の所得は、夫の名で得ようと、妻の名で受取ろうと、それはすべて夫婦の所得である。というは夫といい、妻と呼び、又夫婦といい、婚姻中という以上、既に両性の相互の協力関係にあるからである。すればその夫婦協力の成果を、妻の名で受取ろうと又夫が取得しようと、其本質は夫婦の所得たることにかわりはない。同床異夢的行為、実践は憲法にいう夫婦・妻・夫の行為でない。又そういうものには夫婦の一方が婚姻中とはいえまい。(三の(4) による)

その夫婦の所得を処分利用等するときは、夫・妻二人、たゞこの二人、互に同等の権利を有することを基本として、即ち互の自主性を尊敬しおう各自の自主性に自覚して処置することが本当だと憲法が示す。(控準六頁)

然るにその所得を受取るときに夫か妻かが、自分の名を使つたというだけで、他の配偶者を無視し、夫婦の所得を全奪りする。このような没常識にして没義道なことを強いるのが、此法条のわざで、前掲表の更正決定がこれを証する。

民法第七六二条第一項が憲法第二四条に反すること極めて明白である。

四、判決理由

第二審判決理由に「婚姻に関しては、法律は個人の尊敬と、両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」(憲法第二四条第二項)と規定しているのは、男女の両性が本質的に平等であるが故に、婚姻においても夫と妻とが法律上平等の権利を享受すべきもので、その権利に差違を附することを禁じる趣旨と説明され、上告人も至極同感である。それゆえにこそ当訴訟に及んたのである。そうして此趣旨説明のあと二、三行おいて、もとより夫婦は同心一体と云われているところをみれば、夫婦は夫妻相互の一つの協力体で、一人でないことも確認されているわけである。夫婦関係にない男女の所得は、それぞれの所得として個人のものだが、夫婦の所得は夫一人のものでもなければ、妻一人のものでもない。ただ夫婦一の所得である。その夫婦の所得という一つのものを或る事情の下に夫の所得、妻の所得と定めるとなれば、互に了解の上で等分する当然である(三の(6) )。等分と均分とは意味はちごうが本件の場合偶然等分が均分のようになつたのである。

こういうわけで上告人の税申告こそ、個人の尊厳と、両性(特定の一人の男夫、特定の一人の女妻)の本質的平等に立脚していると信ずる。

然るに判決理由には、民法第七六二条第一項は前記趣旨に反しないから毫も憲法の規定に違反せぬとあるが、同法条の力の及ぶ範囲の現実、即ち前掲表の更正決定を見れば、同法条が個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律か、否かは論より証拠、だれの目にも一目瞭然だと思う。

次に同判決理由に控訴人の所論は要するに夫婦の道、婚姻の倫理を説くもので、これが直ちに法律上夫又は妻がその名で取得した所得の半分を、他の配偶者の所得としなければならない筋合のものではないから、前記民法の規定を憲法の規定に違反するものとなす主張は首肯できないと結論されているが、このような話は太陽や空気や又社会の中で自分が働かしてもらつていることに気付かずに、自分の力だけで働いていると自惚れていると同じく、夫婦相互の協力が各自の生活に浸みこんでいることを忘れるから自分の力だけで自分の所得を得ているなぞと一勝手なことがいえるので、右の手で採つても左の手で掴んでもわが身のもので、右左の手のものでないことは誰にもわかる筈だ。

その本源の一つに帰した夫婦の所得を、夫と妻とがわける同等の権利を有することを基本に半分づつわけあう。自分のものを半分他に与えるのではない。さらに上告人いう。妻は無我の勤労をなしつつも、所得を全部奪られる。夫は無我に働いたその妻の所得を、誰れに気兼ねなく公然と奪ることを法律上認めてよい筋合いのものかどうか。ここに掲げた更正決定を見ればすぐわかることで、「前記民法の規定を憲法に反するものとなす控訴人の主張は首肯し得ない」との結論は出ない筈と

この二つの判決理由を理由に、控訴人の主張は独自の見解で、大阪高等裁判所は採らぬとあるが、(二)の上告人の税申告の新聞記事に依れば、上告人の主張は、世界の文化国の思潮と合流するものであり、又今もいうように両判決理由とも上告人の主張に正面切つて反論なく、たゞ民法七六二条第一項の合憲法性の説述だけという状態のまま第一審と趣旨を同じくするということで第二審判決理由を終つている。

第二審判決理由の要点はここに述べた二つであるが、その不当を既に明らかにした。依而趣旨を同じくする第一審判決理由についていえば、民法第七六二条第一項が憲法第二四条に違反するか否かの検討が、同理由の要点であり、趣旨もこれに尽きている。それによると「民法同法条は妻がその名で得た財産は、全額をその特有財産とするごとく、男女の区別なく平等に適用されるものであるかろ憲法二四条に違反するとは判断しえない」とある。が、これは男女の区別なくだから夫むそうで、妻も夫もその点平等で差別がないということだが、何れも互の協力に立つていることで、どちらの所得も当然夫婦の所得に帰すべきこと、従つて同法条は憲法第二四条に違反することは既に(三)の「憲法第二十四条と民法第七六二条第一項」で述べた通りである。

五、結論

結局、夫・妻と呼び互に夫婦生活しでいる以上、夫が儲けようと、妻が所得しようとそれは何れも夫婦の所得で、どちらのものという区別がないというより、当の本人たちはそんなことを気にもしていない。それを何かの都合でどちらがと区別しようとなれば、半々にというのが真の夫婦の間柄だというのが、われわれの最高常識憲法第二四条に示されていることであり、又われわれの実情だ。本件の場合、税の必要から所得税法第一条に個人としてとあるから等分したまでで、それがいけないという更正決定を見ると、妻が夫と対等の地位に認められたというのに、実に常識を欠いていることは御覧の通りで、一度考えなおしてほしいまちがいでないかというと、それは民法第七六二条第一項という法律の所為で、どうにもならぬ。しかも此法律は憲法に叶つているとのことであるので、そういう筈はないで同法条が憲法第二四条に違反していることを現実を媒介に実証したのがこれまで四つの項に渉つた陳述で、同時にこれが上告人が納得いかぬ原判決に不服だというたことの説明である。

これによつて、民法第七六二条第一項は憲法第二四条に違反すると上告人は強く主張する。

以上

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